石塚です。こんにちは。
11月に入りましたね。温かい飲み物がおいしい時期です。
先日、緑茶を淹れているときに、ふと小学生の低学年ごろの思い出がよみがえってきました。
小学校、2,3年生のころかなと思います。
私は両親のために、晩御飯のあと(世界名作劇場のあと?)、食後の緑茶を初めて一人で淹れようとしていました。
「完璧にやる」「ほめられる」ということが当時(も今も笑)、私には重要事項。
「一人でできるから!」と母を台所から追い出し、見よう見まねで急須に茶葉を適当にいれ、お湯をそそぐ。
と。なんとお茶は湯飲みの半分くらいしかありませんでした。
「あ、足りない!」と思った私は、湯飲みに水道から水を入れました。子供の舌ではちょうどよい温度です。「上手にできた」と、両親のところへ得意顔で持っていきました。
初めて一人で淹れた緑茶の評価は・・・
父は一言、「ぬるい!飲めん」、母は口先では「ありがとう」と言ってくれましたが、さっさと淹れなおしに席を立ちました。
失敗してしまったことで、悲しいやら悔しいやら恥ずかしいやらで、打ちのめされたなあ・・・そんなことがあったなあとふと思い出しました。
家族を喜ばせたかっただけなのに、逆に叱られてしまって、がっかり・・・。
何十年も前のそんなことが思い出されてしまうくらい、失敗してしまった時の記憶って、強いですよね。
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話は変わって、婚活の現場。「失恋」の現場に、職業上、よく居合わせることになります。
失恋とまではいかなくても、自分の期待が裏切られるということは、婚活をする以上本当によくあります。
申し込みをしたのに断られた、期待してお見合いに行ったのに思っていた人と違った、これからこの人と何か始まるのかなと思ったところでの交際終了。
多くの方と出会う婚活をする以上、そんな行き場のない想いを上手に切り離して泳いでいくしかありません。
「終わったことはきっぱり忘れる」これが成功の秘訣でもあります。
一方、視野を広げてみると、婚活以外でも、「期待が裏切られる」ことはすべての人間関係において起こりうることです。親、兄弟、友人、職場、SNSの中。期待を裏切られる度は99.9%といっていいでしょう。
しかし、「愛する人に裏切られる」体験が強すぎると、また人を愛することが怖くなります。
裏切られる、あの痛さをまた経験するかもしれない。
そう思うと、自分の気持ちを素直に表せなかったり、相手を純粋に信頼したりすることがむつかしくなります。
LINEを送ってみたいけど、「メンドクサイ」と思われたらどうしよう。誘ってみたけど返事がなかったらどうしよう。期待通りに進まないことが怖すぎて、ほんの一歩が踏み出せません。
恋愛のスタートには、素直な自己開示が必須。
素直に、ありのままの自分を表現するから魅力が出るのです。
怖がりの人は恋愛につまづいてしまい、結果的に結婚までも道のりが遠くなってしまいます。
物事は自分の思い通りに進まないことが99.9%。
ほんのごくまれに、自分の期待通りに物事が運ぶ「有難い」経験があるから、「ありがとう」なんです。
であれば、「申し込みを断られた」「お断りがきた!」と目の前のことに一喜一憂し、心を乱されるのは本当に無駄。
そして、「断られるかも」「交際終了かも」と悩み悩み考え考えることも、無駄。(そん時はそん時、相手が別れたいならしゃーないよね)
すべての出会いが学びであり、経験であり、自分は魅力を増していく。
本当に運命の人との巡り合うために。
ほんの一歩の、いつもと違って踏み出したら・・・人生変わるかもですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。